![]()
![]()
| その昔即ち、元和元年(1615)豊臣方に味方した城大内蔵太郎が、豊臣秀頼公に別れを告げ秀頼公拝領の薬師如来像を棒持して最後の合戦地、越後に向かった。しかし武運つたなく大阪城落城の三日前(元和元年5月5日)越後の城が落ち拝領の薬師如来像と共に残った一族が灘一丸(深山神社に奉納)で海に逃れ流れ着いた所が大石であった(現在の大畑町字孫次郎間)現地の住人(長津家の祖先)に保護され一族の隠れ住む地を求め大畑川を遡った。 河口より約10キロ温泉の湧き出るこの地を発見し関根部落より嫁がした妻方の姓を名乗り山本大内蔵佐兵衛と世を偽って畑作をなし自立の地としてこの地に住み着いた。 近郷の人々はこの地を古畑と呼んだが佐兵衛は温泉の湧き出口が昔、医家の使用する薬碾に良く似ていたことから薬碾と言った事が現在の薬研の語源である。 佐兵衛がこの地に隠れ住む事10余年、世に出る機会をつかむ為、家臣である生茂佐衛門(古畑の初代)に今迄の一切を任せ思い出深いこの地に残るよう命令して大畑の深山に移住した、後南部藩に任官し明治迄代々大畑の山吏を勤めた、城大内蔵太郎は大畑町の宝国寺の墓地に眠っている。 |
|
|
この地に残った生茂佐衛門は二代目仁佐衛門に後を譲り君主の許で亡くなっている、仁佐衛門は寛文7年(1667)南部28代重直公より湯守別当を命ぜられ以来明治迄12代別当を勤めた。 明治以降はこれまでの地名であった古畑を氏とし現在に至っている、また秀頼公より拝領の薬師如来像は薬研温泉の守護神としてまつられ毎年7月の丑湯まつりにご開帳されている。 先祖は漢方薬を作っていたため昭和42年(16代当主)まで使われていた薬碾(粉末及び調合する器)が保存されている。 当館は薬研渓流のすぐ側に位置し訪れる方々に「薬研渓流を真下に望む安らぎの宿」として親しまれております。 |
![]() |
![]()
| 〒039-4401 青森県むつ市大畑町薬研1番地 | ||
| TEL:0175-34-2763 FAX:0175-34-6315 |
http://www.yagen.jp/furuhata/ | |